駄目だこりゃ

紅楼夢掲示板が荒れているみたい。
それでよくわかった。
お客様意識はほかでもないサークル側じゃないの?
所場代を払っている客だと思ってる。
なんだ参加者ににはお客様意識は駄目だと言って自分たちは権利を主張していいと?
成功か失敗かは終わってからそういう話しましょうよ。

対等であるという欺瞞

コミックマーケットでは参加者とサークルは対等である」
という言葉がある。
前回のエントリの中、この言葉が一人歩きしていることに気がついた。
この対等という言葉が、どうも「運営販売側は優遇されるべき」であるという妙な風潮を生んでいる。
そしてこの問題の根底には「商業の世界では消費者が上位で販売者が下位である」という誤解があるようだ。


ここで対等の意味に関して どういう意味なのかをもう一度紐解いてみる。


まず商業の基本は「販売」である。 Wikipediaによれば販売(はんばい)は、
商品を売る(所有権を移転する)ことである。
それ以上もそれ以下もない。
サービスとは販売行為に付随するものであって、物が買える保証などではない。
たとえば買ってくれた方に笑顔で有り難うございますというのもサービスだし、
梱包するのもサービスの一環だ。


販売者は商品の値段を自由につけることができる。東方の場合はZUN氏の影響下で
低く抑えられているが、本来はどんな値段にしても問題はない。
ここでどれだけの粗利をとるかも自由に設定できる。 
身近な例でたとえばフラッシュメモリは割と粗利率が高く設定されている場合が多い。
ただ、こうした商品は常に販売競争に晒されるためあまりに高い値段をつければ
今度は市場から追い出されてしまう。
つまり、消費者のコンセンサスを得られれば一種のボッタクリ価格でも許容されると言うこと。
価格決定権を販売者が持ち、購入するかどうかの決定権を消費者が持つのである。
ボッタクリ価格と分かっていても消費者が抵抗するには限界がある。
故に 販売者と消費者は 本来最初から対等である。
しかし販売者は前述の通り競争に晒されているから、差別化の手段としてサービスを加えたり
廉価販売をしたりしているのである。


では消費者が上位で販売者が下位という誤解が生まれたのか
それはやはり三波春夫の「お客様は神様です」という発言だろう。
だがこれは本来、お客様なら全ての欲求が満たされるべきとは何一つ言ってない。 
実際三波春夫の言う神とは八百万のカミという意味であって
来ていただいている皆が自分のステージを支えている要素であるという考え方だった。
※この点については三波春夫オフィシャルページに詳しいので是非ご覧いただきたい
 http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
販売者は消費者の欲求を全て満たす者であると誤解されている現状に対する嘆きが
書いてあることがお分かりいただけるだろう。


ではコミックマーケットにおける対等とはどういう意味だろうか
これは単純に、サークルと参加者は対等「に責任を負う」ではなかろうかということだ。
だからこそイベントがつつがなく行われるためにマナーを広めたりしている筈ではないか。


前回のエントリの中で徹夜組の話が出たとき、取り締まるともっと騒ぎになる
イベントが中止されるという意見があった。
これは、お目こぼしをしてもらっている存在なのに騒ぎを起こしたらイベントを潰されるという
危機感によるものだろう。 自分の場所を破壊されるくらいなら放置して隠しておこうという
考え方は分からなくもない。


しかしここで肝心なことが忘れられている。 徹夜組も同様に参加者ではないかということだ。
すると徹夜問題というのは本来は解決するべき問題であり、彼らが問題を起こせば当然
責任を負うのは参加者だと言うことになる。
徹夜問題を放置しろという考えは結局のところ、一部の人がやっているから自分は関係ないの発想であり
サークルと参加者は対等という考えに反することになるだろう。


例大祭の場合もそうだ。当日券を求めて詰めかけた参加者に突然カタログを持っていないからと
言って返してしまったのは同じ参加者を区別していることになり、参加者とサークルが対等であるという
考えに反していないだろうか。
あっという間にカタログが売り切れたのなら数日前までににカタログ所持者以外の入場を
禁止アナウンスすれば良かった。 
当日販売分のカタログを通信販売に回して逆に持っていない人を入場させなければ問題はこじれなかっただろう。
そのような努力をしないで、あぶれた人が出れば当然各種交通機関秋葉原などあちらこちらで
迷惑が掛かるとは考えていなかったようだ。


ここでわかることは、どうも運営側に「場を設けてやっている」という意識がどこかしらあって
それがサークル側に伝播しているまたはそう言った空気が蔓延していると思われるのだ。
(もちろんサークルの中では売ってやっている思考でない人も数多くいる)
丁度、会社のトップの思想が下に伝わるように、集団の空気が出来てしまうのである。
皆様も覚えているだろう舟場吉兆の女将問題でなぜ異常な事態になっているにも関わらず
従業員達が思考停止してしまったのかと考えるとわかりやすいかも知れない。


また、運営や販売者側が優位になっている理由はもう一つある。
サークルの商品は基本的にオンリーオンであり同じ物を販売しているわけではない。
よって競争原理が働きにくくなる事情もある。 ただし同人はすでに数々の指摘があるように
通常流通に乗らない程度のクォリティの場合も数多くあるからそれでバランスがとれているように
見えているだけである。


このことから「対等」の意味が大きく歪んでしまい、運営販売側の方が優位に立っていることに
気づいていないまま、この状況を「対等」と錯覚し、それに疑問を抱く者を
「お客様意識」として排斥しているというのが、今の現状なのである。

続々 東方はもはや同人ではない (種明かし編)

前回の続き


というわけで 一回目は東方ってもはや同人じゃないではないか? で
次に今はお金の掛からない表現方法があるのではないか? と続いてきました。
まずはじめにとても意地悪な問いかけをした事をお詫びいたします。


ここで今一度 もはや同人ではないのではないかに立ち返り、種明かしと続きを始めます。
そもそも現代の同人のやり方では商業主義なしに同人が立ちゆきません。
たとえば印刷屋との折衝もしかりですし、販売委託もそうですね。
特に販売委託の場合、市場原理が働きますからその段階で「自分のやりたいものをやる」という
同人がすぐに行き詰まるのは自明の理です。
自分の好き放題に公序良俗に反する内容や、面白くない内容はすぐに撥ねられます。
人気の出ない同人は在庫の山です。 


販路拡大も大きな問題です。
特に東方同人についてはとうとうアマゾン(IOSYSさんとか)でも
ニコニコ市場(ホワキャン経由ですが)で買えるようになっていますね。
本来イベント会場での交流や交換を目的とした同人が
完全に販売のためのシステム「市場」と化しているわけですね。
売り手と買い手が残念ながら同じ立場でない理由も
買えないリスクが買い手にあるなんてもはや幻想なのです。
今じゃ沢山の販路から本を買うことができる。どうしても欲しいのならオークションだってある。
これでもまだ 東方って同人だって言えるのでしょうか。


と、ここまで書いたところで、案の定「俺たちはアマチュアだ」って反応が返ってきたわけですね。
じゃあアマチュアなら市場原理が働かないやり方に回帰するしかないってことにならないかが
前回のエントリ。 市場原理や商業主義から完全に分断されたコンテンツを提供する手段はありますよと。
すると、やっぱり制作費を回収したい、東方同人は儲からないって反応が返ってきます。
当然ですよね。 だけど儲けという言葉には否定的になるんです。
それを認めてしまうと、自分が叩かれてしまうから。
だからあそこで憤った方申し訳ないです。 あなた方の反応は至極当然であり正しいわけです。


だけどね、ここで一つ考えて欲しいのですが
お金儲けって駄目ですか? ってことなのです。
お金を儲けるためにはとてつもない努力と工夫とそして投資が必要だって言ったのは
皆様がたですよね。
音屋さんは東方の音楽を一生懸命耳コピして、そこに色々な音色を置いていますよね。
楽器だってそう。 必要経費を折半しろって言ったって無理ですよ。 下手すりゃ何百万の投資を
しているんですよ。彼らは。
絵描きさんは沢山のレイヤーを作って、気の遠くなるような彩色作業をしていますよ。
彼らがお金の形で対価を求めたくなるのは当然ですよ。
最初は皆に褒められるだけで満足していたかも知れない。でもそれだけでは満足できなくなってきたから
イベントに参加したりしているわけですよね。 ちがいますか?


皆様に認識していただきたいのは
いくらアマチュアリズムだと言ってももはや同人の世界に市場原理は働き
お金儲けをいくら否定しても、現実はそうではないという事実なのです。
そうなるとね、お金を儲けているから音楽をやっている人を叩くなんて漫画至上主義もナンセンスだし
逆に東方だから儲けちゃ駄目だと言ったって無駄なのです。
だって低コストのやり方をいくら提案したところで、あなた方の理論では
表現の幅が狭まるというわけでしょう。 
一定冊数以下ならディスクで頒布するとか、製本作業を最初から自分でやるとか、紙の質を下げるとかは
全部商業主義的発想だから駄目だというのでしょう。
なら高コスト体質のまま突き進むしかないでしょう。
お金が掛かるから儲けられる時に儲けないと立ちゆかないじゃないですか。


だからイベントに参加している参加者の方をないがしろにするのは避けないといけないのではないかと。
批判する人はお客様感覚だから無視して構わないと。
彼らは同様に参加者じゃないですか。 彼らを切り捨てていたりしたら市場原理なんか
すぐに崩壊しますよ。 ルール違反をした人は参加者じゃないでしょ。
発覚したらイベントが崩壊するから、崩壊するようだったらその程度のイベントですよ。


結論
お金儲けって側面を否定しちゃいけない。
同人であっても規模が大きくなれば、市場原理が働く。
そうなったら自分の好きなようにやりたいと思ってももはや通用しない。
サポートしかり。


というわけで「東方は同人ではない」はとりあえず完結です。
ご清聴有り難うございました。

そこにお金が介在する理由はあるのか?


同人はとても巨大化して一種のマーケットと化しています。
昔は皆に自分の思いの丈を伝える方法は本しかありませんでした。
たとえば、今やポケモンを生み出したゲームフリークは元々同人誌の名前でした。
あの当時、本を出版する費用を賄うために即売会を開き、作り手同士の情報交換のため
本の交換が横のつながりとして行われてきました。


しかし、現代ではどうでしょう。
今や自分の意見を伝える手段はとても増えました。インターネットの登場で
直接自分の意見を発表することができます。 そしてブックマークをしてくださった方
そしてここに多くの閲覧してくださった方がいるわけですよね。
こうしたネットスペースは驚くほど費用が掛からなくなりました。
PDFファイルやMP3の普及で自分の表現物を容易に人々の手に届けることができます。
そうなると、こんな疑問が湧いてきます。


自分の表現物を容易に提供できる今、何故 未だに お金が介在するやり方をするのか
ということです。
これが昔だったら分かります。 DTPが普及していなかった当時、同人誌を作るのは
とても大変なことだったはずです。 当然費用も掛かる。
それは今でも同じ事なのだけど、お金が介在する理由は以前と比べたらずいぶん減っているのでは
ないかというわけです。
(もちろんグッズ販売など未だ原価がかかるものもあるので全くないとは言えません)
そして事実、東方界隈に目を向ければ「お金を稼いでやるぞ」って考えが強く出ている。
活動を続けるための心付けだったお金がいつしか、制作者の生活を支えるためのものに
なっているわけです。


同人市場の規模は拡大の一途を続けています。
同人市場に寄生する別の商業主義も出現しています。
東方の場合なら先に騒ぎになった着メロ問題やカラオケ問題がそうではないでしょうか。
(奇妙な事に曲を提供した人が叩かれて話を持ちかけた企業が叩かれない現象も起こりました)
今回のエントリーで分かったことは、同人という世界がアンダーグラウンドから表に
飛び出してきているにも関わらず、それを指摘すると、アマチュアリズムとはなんぞやという話題に
なってしまうことでした。


前回のエントリで多くの方が不快感を示したと思います。
なぜなら、あのとき私は「同人はなんだかんだ言って好きなことを書いていいかもしれないが
結局金儲けじゃないか」と遠回しに言ったからです。
ところがですね東方界隈の場合は、同じようなことが別の場所で起こっているのですね。
それが音楽をやっている人の問題というわけです。


彼らはお金を稼ぎすぎていると言って叩かれていますが
いざその指摘が自分に向けられると「いや、同人で金を儲けるのはいいことだ」と言い出します。
どちらもアマチュア表現者じゃないですか。
なのにこの風潮は一体何なのかということになります。
酷いダブルスタンダードですよね。


もちろん、表現活動には何かと物いりだから
多少の心付けとしてのお金は仕方ないと思います。 これはどちらかというと
同人云々というよりは「カンパ」の世界です。それが正しいあり方だったはずではないですか?
しかし「カンパ」がすでにカンパでなくっているところが出現している以上
追求している方々には大変申し訳御座いませんが、
マチュアリズムの理想を語ってももはや絵に描いた餅にしか見えません。


お金が絡むからルール違反を犯してまで徹夜組とかサークルチケットの横流し問題も起こるのではないですか?
ルール違反を指摘して取り締まろうとすると、イベントが中止になるから嫌だと言いますが
それはただの駄々にしか見えません。 アマチュアだからその辺を大目に見ろとは虫が良すぎませんか?
そして自分にその標準が向けられたら、やれニコ厨の仕業とか、やれお客様主義の仕業とか
言い出しているのはいかがですか?


確かに東方は同人です。
しかし内実はアマチュアリズムという免罪符を振りかざして「これは商業じゃないんだ」と
自分に言い聞かせている人と、本当は商業であることを見抜いている印刷屋さんや同人ショップに
いいように使われている現状を見るととても切なくなります。


私の言うことは残念ながら理想論であり
現状ではなにも実効性はないことも理解していますが
お金を稼ぐなとはいわないからもう少し、頭を冷やしてみては如何ですか
と言うことです。


次回に続く

はじめに

「東方はもはや同人ではない」 数々のコメント並びにブックマークを入れていただき
有り難うございます。
同時に数々の反論もあり、皆様方が同人という世界にどのような思いを持っているのかを
再確認することも出来ました。

東方はもはや同人ではない

2008年8月27日 少し追記

今回の話は無意識な選民思想ってやつで


東方界隈はあまりに巨大化しすぎて、所謂「にわか」がたくさん出ているわけですが
たとえば彼らのうち都合の悪い存在を「ニコ厨」と呼称したり
「お客さん意識」って言って、そんな考え方では駄目だと嘆いてみたりがあまりに目立つので今回はそんな話。


同人というのは同好の士が集まって一緒に楽しむ場であるはずなのに
何故か、自分に都合の悪い存在を勝手ににわかと認定して
「我こそは正しいファンなるぞ」と言い出してしまう人が
こと東方界隈には多いようです。
正確には声がでかい人に限ってそういう事を言う人が多い。


もちろんこのような思考形態はインディーズバンドのファンとか
ある程度カルト的なムーブメントを経たコミュニティでよくあることなのですが
問題は「ニコ厨」「お客さん意識」と名のもと思考停止しているようにしか見えないことなのです。


たとえば今年の例大祭
カタログが一瞬で売り切れた段階で、まずいと判断するべきを問題を棚上げしたまま当日を迎えてしまい
コミックマーケットスタッフが応援にかけつけたが参加者に不満が募った件。
ところがスタッフとか入れた人はうまくいった。よくやったと自己弁護ばかりしていて、
一応運営側からの謝罪文は掲載されたものの、読めた出来事を棚上げする体質は変わらぬままだったりしているわけなのですが
こうしたことを批判すると「お客様意識」と言ってすぐに思考停止してしまうのですね。


そもそもお客様意識って何か? 
私に言わせれば、イベントに来てくれた方は皆お客様の筈なのです。
欲しいのに買えなかった、そこに不満を感じるのは当然でしょう。
ところがそれを「お客様意識」と言って批判する風土があるのです。
たとえば新刊を楽しみにしてくれたファンはお客様じゃないのですか?

追記(ただしマナーが悪い人や ルール違反をする人はお客様ではない。 クレーマーの類と考えるべきである
   この部分を混同する人があまりに多い。 それはすでにお客様意識でも何でもなく
   ただの頭がイタイ人だ。)
追記2(お客様至上主義を拡大解釈しすぎている人がいるようですが、その辺の根拠はコメント欄をご覧ください)



不思議で仕方ないのですが明らかに条例違反をしている徹夜組は普通に通して、きちんとした手続きで来ているお客様には
入場制限をする思考がすでにおかしいと思います。
そうだったら、もう警察巻き込んで全員補導してしまえばいいでしょう。
警察沙汰で目を付けられたら云々は、それは徹夜をしている人がわるいから問題ないのではないでしょうか

追記3 例大祭のペナルティの件ですが、フリー入場まで入場させないくらいの厳しいものでないといけません。
    多少のペナルティでも始発組と同じくらいの待遇になったら全く意味がありません
   


イベントを企画 開催した方にかなりのリスクがあってとても大変だと言うことはよくわかります。
ただ、それらを総括する際にファンに序列を設けてカーストを作りたがるその思考が大問題ではないでしょうか。
なら、具体的にどうするのか? そのビジョンは未だに語られていません。


どちらにせよ東方はもはや同人ではないと思っています。
一般雑誌による宣伝を行っているからです。
何も知らない人に一般雑誌による宣伝を行えば当然それに準じたサポートやイベント企画があると考えるのが自然です。
しかしいつまで経っても東方は同人だからの一点に甘えて、都合が悪くなると同人だからで逃げ回るのは
もはや限界ではないでしょうか。
地霊殿サポートページ閉鎖もこうした問題の一部であると考えています。


本質的には閉鎖的な東方界隈。
ニコ動のせいだとか雑誌のせいだと他人のせいばかりにするのはいい加減やめた方がよいのではないでしょうか。